1月30日クイーン&アダム・ランバートのコンサートの日!!
還暦の記念に奮発!〇〇万円!パートナーとペアチケットゲット!
アリーナ正面前から4列目の席だったー!
大阪の京セラドームから名古屋まで追っかけてきた人や、クイーンはよく知らないけど、アダム・ランバートを見に来た人や、私みたいに映画からハマった人や、10代のお嬢ちゃん、70~80代のカッコいいカップル、、、、、
なんちゃってフレディ・マーキュリーやブライアン・メイがウロウロしてたり、席に着くなりバーっと着替えだすから、思わず私もさっき買ったばかりのTシャツに着替えたりして、、、
いや~素晴らしいコンサートだった💛
カッコいい!豪ジャス!ビューティフル!ブラボー!なんと表現しようか💛
「ステージはショーなんだ「」と観客が喜ぶ演出にこだわったフレディ・マーキュリー。
きっと「なかなかやるじゃないか」って悔しがってるんじゃないかな、、、。
彼は、ほんの少し映像でしか映らなかったけど、
このコンサートを体感して、私は少し考えが変わった気がする。
アダム・ランバートは素晴らしい歌い手だ。
でも、違う、と思っていた。
誰もがフレディ・マーキュリーの代わりにはなり得ない。
その通りだ。
しかし、「彼以外は認めない」と思っていた私は、0か100かの思考になっていた。
残念ながらフレディ・マーキュリーはもういない。
時代はどんどん変わり、よく辺りを見渡せば、若くても才能にあふれた人はいっぱいいて、世代なんか関係なくかかわりあって、刺激されたりしたり生きている。
何かに取りつかれたように他を拒絶するのは、「執着」
「執着」に支配されないよう
その時代、その時をアタフタしながら、何とか生きて行こう!
アダムも良いじゃないか。
かけがえのない大事な人を失った時、いっしょに行きたい、とみんな思う。
しかし、「姿はなくとも、心の中にいる大事な人と共に、もうちょっと生きてみる」のも有りなのだ。
上手くいかなかったら、その時フィードバックして考えてみる。
人生80年90年の時代、そんなのらりくらりも悪くないなあ~
自分が変わったからって、大事な人に代わりはないのだから。
私なりに、フレディ・マーキュリーの死をどう受け入れたらいいのか、、、
考えてみました。
問題をすぐ先延ばしする私のくせも、こういう時は役に立つのだ!
「とりあえず深呼吸して、もうちょっと後から考えてみよう!」
でも、やっぱりフレディ・マーキュリーが映ったら涙ボロボロ( ;∀;)
周りの人も( ;∀;)
彼の愛したステージ、きっとどこか高い所で観ている。
今も感動をありがとう~!もうちょっとがんばってみる!
いっしょに ゆっくり poco a poco
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